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先端課題研究23「〈面白い〉研究の研究──規格不能性と向きあう」
第4回研究会報告の概要と批評

移民の軌跡をたどる
──資本・技術の越境

辛 承理
一橋大学大学院社会学研究科 博士後期課程

 先端課題研究23「〈面白い〉研究の研究──規格不能性と向きあう」の第4回研究会が開催された。今回の報告者である竹中歩は、自身の移民の経験から、移民を追うという形で自らも移動してきた経験について語っていた。これまでの報告と通じているのは、報告者たちが自身の経験に根ざした「面白さ」を出発点とし、それを研究上の問い、研究としての〈面白さ〉へと接続していく構成をとっている点である。
 本稿では、竹中報告およびそれに続く討論を、筆者の視点から整理しつつ、自身の研究を踏まえて批評したい。

 


1. グローバルヒストリーとしての移民

 

 従来の移民研究は、送り出し国(emigrants)と受け入れ国(immigrants)という二つの枠組みに依拠してきた。そのため、移民がどこへ移動するのか、いかに移動するのか、そして受け入れ国においてどのように適応・統合されるのかといった「入移民」の文脈に基づく議論が中心とされてきた。
 これに対して竹中は、移民はそう単線的なものではく、第三国や第四国を経由する再移動という形態や出移民を生み出すグローバルな文脈が存在すると指摘している。その具体例として、南米へ渡った日本人移民の歴史が示された。
 ペルーは南米で最も早く日本人移民を受け入れた国であり、その歴史は1899年にさかのぼる。当時のペルーでは輸出型農産業が盛んであり、とりわけ欧米、特に英国資本に支えられた砂糖プランテーションの拡大にともない、労働力の需要が高まっていた。こうした状況のもとで、森岡移民会社1)を通じて日本人移民の送り出しが組織的に展開されていたのだ。
 この事例は、移民を発生させる資本と産業、さらにはアクター同士のネットワークといったグローバルな文脈が交錯していることを示している。竹中は、そのような移民を動かすグローバルな文脈をとらえる必要性について指摘している。

 


2. 綿花への着目──「入移民」と「出移民」のリンク

 竹中は、移民を「入移民」としてだけでなく「出移民」としてとらえる視点の重要性を示す具体例として、国策としての移民について述べている。
 日本からペルーへ渡った移民の多くは、英国資本による砂糖プランテーションの労働者として従事していたが、やがて砂糖需要の低下にともない綿花栽培へと移行していく。そのとき、契約を終えた移民の一部は都市部であるリマへ移動し、商業活動(レストランや食堂、理髪店など)に従事するようになる。そして、事業が成功していくにつれてリマにおける日本人移民の事業は高い割合を占めるようになる。
 このような日本人移民の経済的成功の要因については、ペルー社会における日本人コミュニティの強力な結束や文化的特性に注目する「入移民」としての分析が主流であった。しかし竹中は、こうした説明だけでは不十分であり送り出し国である日本の存在があると指摘する。
 当時、日本において綿産業は基幹産業のひとつであり、原綿を輸入し、加工することで輸出産業を確立していた。そのため、原綿の安定的な確保が重要な課題であった。こうした状況のもと、日本はペルーにおける綿花生産に積極的に関与し、企業の設立や貿易ルートの構築を進めていたのだ。さらに、日本からペルーへと農業技術者の派遣を通じて、栽培技術のみならず出荷や流通に関するノウハウも指導されていた。
 竹中は、このような、日本人移民を「出移民」として位置づけることで、綿花というモノをめぐる日本側の国家政策が立ち上がってくると述べている。

 


3. トランスナショナルスタディーズを問い直す──質疑応答より

 竹中の報告では、ペルーに実在した事業家という個人へのミクロな着目を起点としつつ、綿花というモノをめぐる産業の形成と国家間の緊張関係、日本人コミュニティの展開、さらには排斥運動まで、移民を取り巻くグローバルな文脈が提示された。
 その方法論に関する質問に対して竹中は、当初から意図されていたものではなく、史料的制約のなか、当時のペルー社会を支えていた人々を追っていくにつれてモノ(綿花)が登場したと応答していた。すなわち、移民とはいえ人の移動そのものだけではなく、モノを媒介とした関係性があり、移民をめぐる社会的構造が明らかになったと語る。
 また、移民の「起点」をいかに設定するかという問題が提起された。移動の出発点を特定の国家(たとえば日本)に置くと、従来のように入移民としてのとらえ方に回収され、出移民としての連関や広がりが見えにくくなる。そのため、現在のトランスナショナルスタディーズにおいてもなお強く残る二国間モデルの前提そのものを問い直す必要がある。すなわち、「どこから移動をとらえるのか」という起点の前提自体を再考させる視点の重要性が示唆された。

 


4. 越境する技術

 農業に着目してきた筆者にとって特に興味深かったのは、ペルーにおける綿花産業の拡大と安定化のために、日本から農業指導員が派遣されていた点である。国策としての移民では、農法という技術体系そのものもまた重要な資源として越境していく。
 筆者のフィールドにおいても、農業を普及・拡大させるための実践として海外の産地へ出向いたり、他地域の農業者を招待したりという活動が大いにある。しかし、その背後にある、地域に産地を形成する目的や、なぜその作物だったのかについては考えていなかった。主要産地の形成もまた、農業を産業として位置づけるための試みであるものの、モノ(農産物)としての視点が不足して点について、今回の報告は改めて考えさせられるものであった。
 また、本研究会の基盤ともいえるアナ・チンが提示する「スケール」についても考えさせられた。この点は、第一回報告者である赤嶺淳の議論とも共鳴している。
 赤嶺は鯨類と人類の関係に焦点を当てることで「近代」という枠組みの再考を試みているのに対し、竹中は送り出し国/受け入れ国という枠組みを相対化し、移民をグローバルな文脈のなかでとらえ直している。両者は対象こそ異なるものの、スケールを拡張して現象をとらえることで、既存の枠組みの批判、再編を試みている点で共通していた。
 質疑応答において竹中は、個人間のつながりの把握は、しばしば仮説的な推測から出発すると語る。しかし、その直感を手がかりに資料を読み解き、関係性を編み上げていく過程において、移民会社や綿花産業、国家の存在が具体的な像として立ち現れてきたと述べていた。そのための「人々の軌跡をたどる」という方法は、こうした複雑な関係性を把握するための第一段階であったといえる。
 その過程のあり方自体に、本報告から学ぶべき点があったといえる。主観的な関心や直感に端を発しながらも、それを資料と方法によって裏付けていくことで、移民の新たな群像が立ち上がる。普段、研究を進めるなかで筆者はミクロな視点に寄りがちであるが、そうした個々の要素の関係性から何が立ち上がってくるのかを問う視点の重要性について、改めて考えさせられた。

1) 森岡移民会社の担当者であった田中貞吉は、アメリカ留学中にアウグスト・B・レギアと知り合っていた。レギアは後にペルー大統領となる人物であり、こうした人的ネットワークが日本人移民の基盤の一端を形成していた。​

© 2026 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

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