top of page

〈出会い〉と〈手触り〉
──調査研究の規格不能性を考える

根本 雅也
一橋大学大学院社会学研究科 講師

1.〈出会い〉の衝撃──調査における規格不能性


 『ラディカル・オーラル・ヒストリー ──オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』の執筆を終えた後、32歳という若さで亡くなった保苅実は、先住民の歴史を学ぶために訪れた調査地で起きた、忘れられない出会いについて書き残している。グリンジの長老の一人であるジミー爺さんが保苅に「お前はなぜここにやってきたのか知っているのかね?」と問うたときのことである。

 何回か聞かれたんですが〔中略〕僕は「(アボリジニの)歴史と文化を学ぶためです」と答えた。すると彼は「カントリーがお前をここに呼んだんだよ」という。「僕、聞こえなかったけど……カントリーに呼ばれたなんて憶えてないけど……」と言うと、ジミー爺さんは僕の頭を指して「それはお前の記憶、お前の感性が死んでいるからだ。ここでそれらを目覚めさせないといけない。目覚めろ!そのためにここにいるんだ」と言うんです。〔中略〕(スピリチュアリティと)向き合わなければならないことを実感した、強烈な瞬間でした。博士号のためのリサーチだけではなくて、理解し、コミュニケーションするには世界観を変えなければならないのだということを実感しました。あの時のことは何度も思い出します。(保苅 2024: 77)

 ジミー爺さんの問いかけ、そして「カントリーがお前を呼んだ」という答えは、保苅にとって自身の考え方を再考するきっかけとなった。アボリジナルの人びとを「理解し、コミュニケーションするには世界観を変えなければならない」ということを、保苅は突きつけられたのである1)
 フィールドにおける〈出会い〉は、必ずしも調査者が抱えていた疑問を解き明かすわけではない。調査研究においては、研究計画書や調査計画を作成する際に、目的や問いを設定する。そして、その目的や問いに相応しい、適切な調査対象を選ぶ。しかし、そのような手続きを踏んだとしても、フィールドではしばしば想定もしていなかった答えが返ってくる。いや、「答え」という表現は適切ではないかもしれない。〈出会い〉は「答え」ではない何かをもたらすこともあるからだ。たとえば、〈出会い〉は新たな謎を生み出したり、そもそもの疑問をひっくり返してしまったりする。さらには、保苅実が自らの「世界観を変えなければならない」と感じたように、〈出会い〉は自らの考え方や立場を問い直す契機にもなる2)
 調査研究において〈出会い〉は重要なモーメントになりうる。しかし、それは事前に管理・統制できるものでもない。むしろ、調査を企画し実施する過程において、もともとの想定や準備、期待を裏切り、すり抜けたからこそ、その〈出会い〉は忘れ難く、重要な出来事になるのかもしれない。そのように考えるならば、〈出会い〉は調査研究における規格不能性(ノンスケーラビリティ)の一つであると言えるだろう。
いずれの調査研究においても規格不能性の側面はあると思われるものの、ここでは(筆者の専門とする)質的調査を中心にもう少し考えてみたい。

 


2.規格化と効率性
 
 質的調査には規格不能な要素が多い。調査を企画して、対象を定めても、その対象と出会えるかどうかはわからない。また、実際に話を聞いてみると、そもそもの「対象」の設定の仕方が間違いであったり、自分が抱いていた疑問や仮説が的を射ていなかったりすることが判明し、調査の仕切り直しを求められることもしばしばである。一方、思いもかけないところで偶然に出会った人が調査のキーパーソンになったり、たまたま目にした出来事が理解を促進することもある。こうした偶発的な要素は質的調査に取り組んだことのある者なら共感するところであろう3)
 しかし、それにもかかわらず、質的調査は(表面上ではあるが)規格化される傾向にあるように思われる。近年、社会調査士・専門社会調査士という資格制度や大学院の拡充などを背景に、質的調査に関わるテキストが多く編まれている。そうしたマニュアルとも言えるテキストは調査の方法や手順をわかりやすく説明してくれる。それによって、誰もがいつでも調査を実践できるようにするために、である。大学院生などの若い研究者は、限られた時間と資金を使った調査で失敗しないようにするために、それでいて効率的に成果をあげるために、まずこうしたテキストを読むかもしれない。もちろん、質の高い調査を増やすためにも、このようなテキストが編まれ、世に送り出されることは重要であるし、初学者がそれらを読み、学ぶことは必要でもある。しかし、それでもなお、留保すべきことがある。それは、質的調査においては規格化できない(しにくい)余白の部分が多く、それらがしばしば重要な発見につながりうる、ということだ。
 調査のマニュアル化や手順の規格化は、「失敗」を回避し、調査を効率的に進めようと思う人びとにとって必要であろう。規格化された方法にもとづいて、想定内の答えを発見し、論文を効率的に執筆する。限られた時間のなかで、最大限の成果(=業績)をあげ、それによりアカデミアで生き残る。そのような効率性が前景化し、目的にすらになってしまうとき、規格の外にある「余白」は〈余計なもの〉となってしまうのではないだろうか。一見、無駄に思える遠回りは非効率的に映る
4)。しかし、それでは、偶然の〈出会い〉は生まれないか、あるいは気づかずに通り過ぎてしまう。急いで近道をしようとした結果、最も大切なものを見過ごしてしまうという、「急がば回れ」の教訓と重なる。
 

3.〈出会い〉と〈手触り〉──本特集が映し出すもの
 
 本特集は、期せずして、若い世代の研究者たちの〈出会い〉とそこからの思考の展開を生き生きと映し出すものとなった。「期せずして」というのは、もともとそのことをテーマとして特集を企画したわけではないからである。
 本特集は、一橋大学大学院社会学研究科の先端課題研究23「〈面白い〉研究の研究──規格不能性と向きあう」5)に参加する大学院生たちの課題レポートがもとになっている。第2回研究会(2025年5月21日開催)では、鈴木直樹、牧田義也、根本雅也が、第3回研究会(2025年6月25日開催)では、太田美幸、佐藤圭一、小泉佑介が「〈面白い〉研究」や「規格不能性(ノンスケーラビリティ)」をキーワードに各自の研究経験について報告した。第3回研究会における受講生への課題は、「①第2回、第3回の報告を聞いて、報告の中で触発されたことや共通点など(自分なりに)簡単にまとめつつ、(可能なら②その中で出てきた著作などを読み)③自分の調査研究に引き付けて議論してください」であった。これをもとに各自が展開した論考が、本特集である。なお、教員による報告については、各回の「報告の概要と批評」(第2回は松浦海翔による「研究の〈面白さ〉はどこにあるか」、第3回は永山理穂による「〈面白い〉研究の『手触り』を求めて」を参照してほしい)でまとめていることから、重複を避けるために割愛している。
 上述のように、本特集に寄せられた論考には、それぞれの調査における〈出会い〉とそこからの模索が色鮮やかに描き出されている。「〈フィールド〉から出発し、向き合いつづけること」と題した論考において、松浦海翔は自らの経験をもとにフィールドでの〈出会い〉が調査者の想像力をかき立て、動かす要因となりうることを論じる。小谷英里は「痕跡の不在を歩いて思うこと」において、自身がこれまで調査を実施してきた長崎市ではなく、茨城県日立市でのフィールドワークの経験を記述することから始める。そこでの「痕跡の不在」と「不在の痕跡」との〈出会い〉は小谷を混乱に招き入れるものの、その経験を通じて自らの視点を問い直す様子が描かれる。鈴木佳苗もまた、自らの調査地・フィリピンではなく、東京で開催されたカダヤワン祭りでの〈出会い〉を記述する。そこで鈴木は予期していなかった状況に遭遇し、その意味をまだ十分に咀嚼できてはいないものの、新たな視点を得た感触をつづる。また、鈴木は調査地の「越境」を通じて得た視界の広がりの経験をもとに、学問領域を「越境」することの「面白さ」と重要性に言及する。樋浦ゆりあはアメリカのシャーロッツヴィルを訪れ、歩いた経験を詳述する。街の壁に残された文字や撤去された銅像の跡の「声」や「沈黙」との〈出会い〉は、歴史を学ぶ樋浦に歴史学や学問の意味を問いかける。「誰のための研究なのか、誰のための歴史なのか」という副題に掲げられた樋浦の問いは、研究をする/志す者たちにとって考えなくてはならない問いでもあろう。
 本特集に寄せられたいずれの論考も、調査地における自身の〈出会い〉を振り返り、そこで育まれた思考のプロセスを記述する。そこで描かれる〈出会い〉の状況や意味は必ずしもきれいに整理されているわけではない。むしろ、ざらざらとして、ゴツゴツとした、まとまりのない記述といえるかもしれない。だが、そうした記述は、可能性に満ち溢れた原石でもあるようにみえる。このような記述には、調査の〈手触り〉と呼ぶことのできるものが現れているのではないだろうか
6)。〈手触り〉は色々な事柄を含意しうるものの、人の思考と行動──しばしば格闘や苦闘──の形跡の表出/表現という点では共通しているように思われる。この〈手触り〉もまた調査研究における規格不能性と関連する要素であろう。
 第2回、第3回の研究会全体を通じて、教員による熱のこもった報告はそれぞれが考える研究の〈面白さ〉とともに、参加者になぜ研究をするのかという根源的な問いを投げかけるものであったように思う。一参加者として、今後の研究会での新たな〈出会い〉とそこで得られる〈手触り〉を大切にしながら、その旅路を楽しんでいきたい。

1) 筆者は別稿で保苅実の出会いなどについてまとめている。本稿における引用もその一部である。詳しくはそちら(根本 2025a)を参照してほしい。
2) 調査における〈出会い〉と〈対話〉については、別稿(根本 2025b)を参照のこと。同内容を先端課題研究23「〈面白い研究〉の研究」第2回研究会においても報告している。
3) こうした調査における偶然は〈たまたま〉であっても〈でたらめ〉であるとは言えない。調査者はその偶然の〈出会い〉に至るまで相応の蓄積をしていると考えれるからである。この点については根本(2025b)でも言及しているが、また別の機会に論じていきたい。
4) 本特集において、鈴木佳苗が「遠回り」の意味について言及している。
5) この先端課題研究については代表教員の一人である赤嶺淳(2025)を参照してほしい。
6)〈手触り〉は佐藤圭一による報告のなかで用いられた言葉である。しかし、この用語は本研究会のなかでたびたび言及されてきた。本特集においても、永山と鈴木が言及している。
 

参照文献
  • 赤嶺淳,2025,「『マツタケ』のさきへ」『きわ』2(2):1-5,(2025年9月3日取得,https://www.kiwa-networking.jp/002-002-001).

  • 保苅実,2024,『保苅実著作集Book 1──生命あふれる大地』図書出版みぎわ.

  • 根本雅也,2025a,「残された言葉と経験をひらく──保苅実とオーラル・ヒストリー」『日本オーラル・ヒストリー研究』21:88-99(頁予定). 

  • 根本雅也,2025b,「調査が動き出す」有末賢・小倉康嗣・松尾浩一郎編『社会学的質的調査の挑戦──〈出会い〉と〈対話〉の社会調査論』図書出版みぎわ,31-57(頁予定).

© 2025 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

bottom of page