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『マツタケ』のさきへ

赤嶺 淳
一橋大学大学院 社会学研究科教授

今号は、2025年度に開講した先端課題研究23「〈面白い〉研究の研究──規格不能性と向きあう」についての特集です。

先端課題研究とは、社会学研究科が大学院重点化された2000年度にはじまったプロジェクト型講義科目です。教員と博士課程の学生とが、現代的かつ先端的な研究課題について、専門分野(ディシプリン)を越えて取りくむとともに、共同研究という行為を通じ、研究と教育の融合をめざしています。

 

記念すべき第1陣は、政治学者の渡辺治先生が組織された「企業社会日本の変容」でした。同研究の成果は『変貌する〈企業社会〉日本』と題して旬報社から2004年に出版されています。

 

その系譜の23番目につらなるわたしたちは、2024年度に採択された科研費(挑戦的研究・萌芽)「ノンスケーラビリティ再考──不安定で不確定な現代社会に資する人文社会学の構築」(24K21385)を母体としています。

課題名から想像できるように、科研にしろ、先端課題研究にしろ、着想の多くをアナ・チンさんの『マツタケ』に負っています。20世紀に誕生した社会科学は、右肩あがりの経済を前提としています。しかし、地球の有限性があきらかとなり、グローバルに低賃金競争が展開されるようになった今日、その前提──よりよい明日(a better tomorrow)──が幻想にすぎなかったことに、わたしたちは気づいています。そうであるならば、不確定な現実を直視した社会科学を再構築すべきではないか、と同書は問題提起しています。

これは、まさに慧眼というほかありません。発生自体が不確定なマツタケを軸として複数種間(マルチ・スピーシーズ)の応答をマルチ・サイテッドに描いてみせたのは、そうした社会科学を再構築するための手法のひとつ、としてチンさんが期待を託したものなのでしょう。

2025年7月におこなわれた第27回参議院選挙において、新興政党が躍進した要因として、経済政策から外国人政策にいたるまで、さまざまな世代がそれぞれに抱える「不安」であったことを指摘する識者は少なくありません。それらの不安を汲みとった、わかりやすい政策に票があつまった、というわけです。
 

たしかに、そうした不安を受けとめるのが政治であり、分野を問わず、そうした不安をやわらげる研究も必要です。しかし、その不安の根源たる「『不確定性/不確実性』を内包する社会科学」とは、いかなるものなのでしょうか?

チンさんの真似をしてもはじまりません。第一、そんな二番煎じこそ、チンさんに「スケーラブルな研究なんて、おもしろくないでしょ」と一蹴されるにちがいありません。チンさんが示した方向性と方法論を、わたしたちなりに深めていくことが、科研の目的です。もちろん、わずか2年半の研究期間で、そのような大問題を解決できるなどとは、考えていません。それでも、一歩でも、二歩でもいいから、目標にちかづこう、という希望を託したのが先端課題研究だというわけです。

同僚とはいえ、どのような動機から、いかなる研究を構想しているのかについて知る機会は少ないものです。異分野を専門とする同僚の試行錯誤から相互に学び、わたしたち自身の成長の場としたいと思います。その過程を講義という形式で提供することで、今後、自分の学門を確立していく大学院生にも、先行研究をなぞるスケーラブルなものだけではなく、オリジナリティあふれる研究を構想する契機にしてもらいたい、と願っています。

 

共同研究会の第1回目は、趣旨説明もふくめ、発案者のわたしが担当いたしました。その概要については、本誌に収録した辛承理による「不確実性への応答──資料に出会い、現場に学ぶ」をご覧ください。受講生のそれぞれが、わたしの報告なり、『マツタケ』なりを、いかに評価し、自身の研究と向きあおうとしているかについては、人文社会学における『マツタケ』の位置づけをはかるモノサシとなりうるはずです。

どこを起点とするかにもよりますが、はやいものです。修士課程を修了して33年がたちました。博士課程をおえてからでも28年がすぎています。そのときの関心に応じてアジアから太平洋、はてはヨーロッパにいたるまで、さまざまな場所を歩いてきましたが、現役生活も残すところあとわずかという段階にいたって、ようやく腰を落ちつけて「やるべき仕事」が見つかった気がしています。8年遅れの「知命」というわけです。

知命のすべては、2015年10月に『マツタケ』に出会ったことによっています。研究会報告でも強調したことですが、翻訳にあたっては、チンさんが歩いた景観を追体験しながら、彼女の視点・方法論を盗むことに決めていました。最初の2年半は、米国、フィンランド、中国のマツタケ山を歩いては、あらたな人に出会い、マツタケを食べたりと、実に楽しいことの連続でした。

1992年にカンボジアから難民としてやってきてマツタケ狩りとなり、1995年に仲買商となったSさん(2017年11月、Cave Junction, ORで筆者撮影)。

そんな環境が一転したのは2018年の初夏でした。翌年10月に長野県諏訪市で開催される「第10回菌根性食用きのこに関する国際ワークショップ」(The 10th International Workshop on Edible Mycorrhizal Mushrooms)の基調報告者として来日するという連絡がチンさんから届いたのです。

その連絡が「それまでに日本語版は出版されているよね?」という確認であったのは、いうまでもありません。もちろん、大学院の講義であつかい、メモは作成していました。また、きのこ類・菌類に関する基礎的な勉強はおえていました。彼女が引用している文献で日本語になっているものは、ひととおり集めていました。あとは、あの詩的で教養あふれる難解な英文を日本語におきかえる作業だけという情況にありました。

しかし、その作業こそが、もっとも難航をきわめるものでした。2018年の年末から2019年の年始にかけては、当時、名古屋にあった自宅にひきこもり、ひたすらパソコンに向かっていたことしか記憶にありません。夢のなかでも翻訳していたことを思いだします。

こうした翻訳の裏話を紹介したのは、ほとんど指摘されることのない『マツタケ』の一面を紹介するためです。まず、原著が出版された2015年9月末の米国を想起してみてください。当時、米国は大統領選挙の予備選挙中でした。トランプ氏が出馬を表明したのは、その3カ月前のことでした。その1年後にかれは共和党の大統領候補の指名をうけるわけですが、予備選挙中はもちろんのこと、本選挙中においても、米国出身の友人たち──イエール大学やシカゴ大学など名門大学で学んだ人類学者や社会学者たち!!──は、「トランプ? あんなヤツが勝つわけないだろ」と断言していたものです。

日本のメディアも同様の論調でした。ところが2017年1月にトランプ氏が第45代大統領に就任した途端、メディアはそろって産業の空洞化によって経済が地盤沈下したラストベルトの苦境を報道しはじめたのです。そこで見聞したことは、『マツタケ』のキーワードのひとつ「不安定な状態にあること」(プレカリティ)そのものでした。

もちろん、同書は米国社会を論じたものではありません。しかし、随所に米国批判が散見できます。たとえば、ジョージ・W・ブッシュ大統領(いわゆる子ブッシュ)の副大統領として力をふるったディック・チェイニー氏も登場します。それまで米国といえば、いくつかの都市しか訪問したことがなかったわたしには、チンさんがチェイニー氏を登場させる意図が理解できませんでした。

2018年12月、そのチェイニー副大統領を主人公とした映画『バイス』(アダム・マッケイ監督、パラマウント映画)が米国で公開されました。そのころ翻訳に四苦八苦していたわたしは、迂闊なことに『バイス』の存在はおろか、それが第91回アカデミー賞を受賞したことなど、知るところではありませんでした。

その映画にめぐりあったのは、2019年4月、ベルリンに向かう機中のことでした。復路でも2回観ましたし、さいわい立川の映画館でレイトショーとして上映されていたので、帰国後に何度も足を運びました(日本での公開は4月5日だったようです)。この映画のおかげで、ようやく『バイス』が描いたような9.11からイラク戦争へ突きすすんだ、マスキュリンな世界こそが、チンさんの批判したかった米国なんだと理解できました。その系譜はベトナムまで辿ることができます。

晴れて翻訳から解放され、「さぁ、これから!」という矢先、世界はCovid-19に覆われ、それまでの日常生活が一転してしまいました。「明けない夜はない」(“The night is long that never finds the day.”)の格言どおり、いくら時間がかかろうとも、「歩けない苦しみ」は、いずれは解消されるわけです。

その日を待望する過程で、偶発的ながらも貴重な体験をした、と考えています。それは、マスク警察などの過剰な自警団的同調圧力や、「神風」頼みの、非科学的政策を思いつきで強行する政府、そのアドホックな対応を検証すらせず、総理大臣以下高級官僚のだれも責任をとらない現実をまえにして、戦前から変化できていない「日本」という国家/社会の体質を再確認できたことです。

チンさんが批判する米国的マスキュリニティとは異なるものの、日本社会の根底に潜んでいる構造/問題に気づかされたのです。これはプレカリアスな状態だからこそ、顕在化したわけで、いい教訓となりました。

他方で「歩けない楽しみ」にも気づくこともできました。歩けない以上、選択肢はただひとつ。研究室で読むことだけ、でした。一寸の先さえ見通すことができないことが、いかに「不安定な状態」であったことか!! なにかにすがらないと、精神的な安定を失ってしまいそうでした。勉強がしたかったというわけではなく、あの環境で「できること」といえば、勉強しかなかった、というのが正直なところです。でも、そのおかげで、「やるべき仕事」が見えてきたわけです。「怪我の功名」とでもいうべき、偶発性のきわみでしょう。

その仕事とは、「捕鯨問題群の研究を深めることによって、富国強兵・殖産興業のスローガンのもと、近代化を追求してきた日本国家の成りたちを解明する」ことです。

この表現は、コロナ禍の2021年1月にまとめた文章の一節です。出典元は、当時運営していたウェブページ「ナマコ研究室」(Balat's Office)のトップにかかげたあいさつ文です。編集委員会の了承を得て、その文章を本号末に再掲いたします。
 

チンさんの問いかけに対する、現時点でのわたしの応答は、「ディシプリンではなく、イシュー(問題)に着目する」ということです。今回おこなった研究発表もその一部ですが、捕鯨問題群というイシューの分析を通して、日本だけではなく、世界が経験してきた近現代史を読みなおし、これからの地球社会を展望する、という作業です。捕鯨業史研究の射程は、「鯨食の是非」に矮小化されるべきではありません。捕鯨業の本丸である鯨油に踏みこんでこそ、見えてくるものがあるはずです。この試みの妥当性については、現在、執筆中の新書『クジラとオランウータン』(仮)で判断ください。

無謀な挑戦かもしれません。それでも、コロナ禍以来、文献に埋もれながら、多数の発見や出会いを経験してきたなかでの決意でもあります。わたしにとって〈面白い〉こととは、「こうすれば、こうなる」というスケーラブルな道筋をなぞることではありません。そうではなく、なにが起こるかわからない──ノンスケーラブルな──道で遭遇する凸凹を乗りこえていく、ドキドキ感にあるようです。そうした〈面白さ〉を堪能しつつ、その躍動感を読者とわかちあえる文章を綴ることが責務だと会得したところです。

マツタケが発生する、ダグラスファーの商業伐採跡地(2017年11月、Cave Junction, ORで筆者撮影)。

© 2025 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

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