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道を拓く

赤嶺 淳
一橋大学大学院 社会学研究科教授

あらたな科研がはじまった2024年度は、意欲的に動けた1年だった。

活字になったものこそ少なかったが、十分な仕込みができた年でもあった。そんな手応えを感じつつあったときのことだ。満を持して投稿した雑誌から戻ってきた査読コメントに、目をうたがった。的外れな批判のなかに“The author needs to engage much more with the primary sources ......”(著者はもっと多くの一次史料を扱う必要がある)とあったからである。

 

歴史学の雑誌であれば異論はない。しかし、わたしが投稿したのはA Journal of Transdisciplinary History(学際的歴史研究)なる副題をもつ媒体である。しかも雑誌のウェブページでは、Beyond a Westerncentric Historiography(西洋中心史観を越えて)とも謳っている。

こうした編集方針に惹かれて投稿したわけだ。修正稿とともに提出した査読者への応答にわたしは、以下の文章を附した。

 

一次史料を重視する姿勢から察するに、あなたの専門分野は歴史学であると理解しました。もし拙稿が歴史学の雑誌に投稿されたものであれば、あなたの批判は妥当なものです。しかし、本研究は歴史学的に新しい発見を論じるものではなく、鯨油の栄枯盛衰を植物油との競合という視点で分析しなおしたものです。歴史学のアプローチとは異なるとはいえ、わたしのような手法でも、学術的厳密さを備えた「歴史」を提示できるはずです。歴史叙述を歴史学的手法だけに限定すれば、多様な視点を抑圧することになります。それは歴史学にとっても不幸な結果をもたらすことになるでしょう。

この反論が功を奏したわけではないだろうが、修正稿は承認された。結果オーライではあるものの、いまだに居心地の悪さをひきずっている。それは、査読(ピアレビュー)というシステムに内在する権力の問題でもあるからである。

 

サバルタンを持ちだすまでもなく、歴史叙述の主体についての議論が歴史学界における重大な関心事であることぐらいは、門外漢のわたしでも知っている。おそらく査読者も、そうした自己批判の作業に参画したことがあるにちがいない。そのような場で反省を口にしながらも、その一方で歴史語りの方法として「歴史学」的なるもの以外を認めないのであれば、その自己批判も所詮は形式的なパフォーマンスにすぎないではないか。

 

地域研究にしろ、グローバルスタディーズにしろ、フードスタディーズにしろ、学際性を謳った学問にわたしは馴染んできた。否、専門分野(ディシプリン)にしばられない、自由な発想こそが、わたしの学問の源泉だとの自負もある。

 

その姿勢が否定されたわけだ。もちろん、凹んでしまったし、自分が培ってきたスタイルとの妥協点を見いだせず、投稿撤回という選択肢が頭をよぎったことも事実である。

 

それでも書きおえることができたのは、自身がやってきたことへの自信と、「ふんふん、それで?」と訊いてくれる妻、志をおなじくする研究仲間からの支援があったからである。さきの応答に「ピアレビューは、専門分野と方法論の多様性を互いに尊重する精神にもとづいておこなわれるべきです」と附したのは、わたしの本心からである。

 

しかし、よくよく考えてみれば、今回の査読で経験した怒りに満ちた違和感は、いまだアウェー感いっぱいの土俵で勝負をしいられたことに起因しているのであろう。ふりかえってみれば、想定外の応答がありうること、それ自体が学問の多様性を担保する仕組み、と解釈することもできる。

 

海外の雑誌に投稿する冥利でもあろうが、視点が異なることで、視界がひらけることもある。たとえば、日本語の読者にとって自明であり、説明する必要がないことを端折ってしまったことなどは、反省点として今後の教訓となった。

 

こうした経験を積んでいけば、いずれはホーム感を獲得できるはずだ。「道場破り」とまで気負わずとも、他流試合のつもりで臨みたい。

© 2025 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

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