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〈フィールド〉から出発し、向き合いつづけること

松浦 海翔
一橋大学大学院社会学研究科 博士後期課程/日本学術振興会 特別研究員(DC1)

1.〈面白さ〉の源泉としての〈フィールド〉

 先端課題研究23「〈面白い〉研究の研究──規格不能性と向きあう」のこれまでの報告において共通していたことは、〈フィールド〉から問いを出発させること、そして〈フィールド〉と向き合いつづけることの重要性であったように思う。
 第2回(鈴木報告・牧田報告・根本報告)、第3回(太田報告・佐藤報告・小泉報告)の研究会から得られた示唆をやや強引にまとめるのであれば、そこに通底していたのは〈フィールド〉での/との対話が重要視されている、ということであったといえるだろう。あるいは、第1回の赤嶺報告でもまた、日本だけでなく世界各地を歩き、実際に「現場」をみること、そして史資料を横断することによって〈気迫〉のこもった研究ができると強調されていた。
 ここでの〈フィールド〉は、文字通り調査地という意味でのフィールドだけではなく、歴史文書・統計資料・量的データ・学知などもふくむものとして想定されている。この〈フィールド〉へのこだわりは、問いの出発点としてだけでなく、研究をすすめるうえでのアイデアや想像力、あるいは〈面白さ〉を見出しうるものであるように感じられた。
 では、〈フィールド〉と向き合いつづけることには、どのような意義があるといえるだろうか。〈フィールド〉と向き合うことを通して、研究はどのように変化していくのだろうか。本稿では、筆者自身のこれまでの研究活動を振り返りながら、その重要性や研究の軌跡を「想像力」や「暮らし」をキーワードとして記述してみたい。

 


2.想像力を駆動するために

 まだ記憶にあたらしいかもしれないが、2023年、秋田県はツキノワグマ(以下、クマと表記)による甚大な被害に見舞われた。当時、県内では2,334頭のクマが捕殺されただけでなく、人身被害を受けた人の数は70名にまで達し、捕獲頭数・人身被害の数ともに全国最多、かつ過去最多となった。
 その渦中に、阿仁マタギとよばれる狩猟者たちについての調査を実施していた筆者も、これまでに経験したことのないクマと人間の距離感に、日々驚かされていた。買い物のために車を走らせていると、(普段であれば絶対にいるはずのない)田んぼにクマの親子がいるのを見かけたこともあったし、集落のはずれに位置する神社の写真を撮りに歩いているときに、ソバ畑の傍にクマのフンが落ちているのを見つけ、恐怖のあまり写真を撮らずに急いで家路についたこともあった。
 こうした事態は、連日テレビのニュースや新聞などで報道され、世間の注目を集めていった。一方では、クマの駆除への批判とクマの保護の重要性が叫ばれ、他方ではその批判に対する批判──たとえば「だったらあなたが秋田に住めばいいじゃないか」──がSNSを中心に散見されるようになった。狩猟者たちは、このような分断のなかで、行政からの指示のもとクマの駆除活動に従事していたのである。
 しかしながら、少なくとも筆者の調査地の狩猟者たちは、「気楽」に駆除をおこなっていたわけではなかった。かれらは出勤前や退勤後に時間がつくれるよう調整したり、人手を集めたりしながら、箱罠の設置や駆除、そしてその後の解体などといった一連の作業をおこなっていた。また、ほとんどの狩猟者が口を揃えていうのは、狩猟でクマをとるのが自然であって、本当は駆除をやりたくないということであった。ただし、実際に人身被害が発生したり、近隣の果樹園で食害に見舞われたりするようなことがあれば、その原因たるクマを駆除せざるを得ない。狩猟者たちは、こうしたジレンマを抱えながら駆除に従事していたのである。
 これは、さまざまな報道と世論だけでは想像できなかったであろうことである。政府や地方自治体が公表している統計データを参照すれば、何頭のクマがどこに出没し、どこで駆除され、何人の方々が被害を受けたのか、容易に知ることができる。また、クマの保護を主張する側と、クマの駆除の推進を主張する側の意見の相違について知ることもできる。しかしながら、当時クマと人間がどのような距離感で生活していたのか、駆除がいかに生活のなかに組み込まれていたのか、どのような気持ちで駆除をおこなっていたのかということを知るには、〈フィールド〉より出発するほかない。保護/駆除という陳腐な二項対立ではないかたちで現実を描くためには、〈フィールド〉での経験をもって想像力を駆動させる必要があると実感している。
 大規模な「被害」に見舞われた2023年から1年後、筆者はある狩猟者とともに、キノコ採取のために山へと向かっていた。かれが運転する軽トラックの車内で、かれは当時を回願しながら「なんも悪いことしてないのにね」と言った。いまでは、この言葉の背景が多少なりとも理解できるようになった。それは、〈フィールド〉と向き合い続けてきたことによるものだろう。
 あるいは、別の方向を向いた想像力も存在する。筆者のもっている想像力が、いかに一方向的であったかを痛感させられる経験があった。2025年6月に参加した狩猟者が集まる場において、とあるクマの保護団体の会員が発言した。専門家や有識者のプレゼンテーションがおわり、質疑応答にうつったときであった。かれは挙手をし、司会者がかれを指したあとで立ち上がり、名前と所属を名乗った。わたしは、フィールドノートに文字を書いていた手を止め、バッとかれのほうに振り向いた。かれの放った言葉が、熊谷達也『相克の森』(集英社文庫、2006年)の冒頭を思い起こさせる緊張感を生じさせていたことを、いまでも鮮明に憶えている──「肌でわかるほどに会場の空気が変わった。ひとりの若い女の発言が原因だった。マイクを通した女の声が、軽いハウリングを伴って響いた。『今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか』」。
 この会員が質問したことは、クマを狩猟、ないし駆除することを批判する目的のものではなかった。だが、かれが自身の所属を明かしたときに感じたあの緊張感と、一瞬で振り返るという行動をわたしがとったことは事実であり、そのときのことが頭から離れなかった。このことは、狩猟者に対する想像力は持ち合わせていても、保護を主張する人たちに対するそれは持ち合わせていなかったことを露見させたように思える。当然といえば当然なのだが、狩猟者たちと生活を共にした時間を重ねるたびに、わたしは自身と狩猟者を重ね合わせて物事を考えるようになっていったのかもしれない。
 物事を多面的に捉えるための「想像力」を駆動させるためには、文字通り調査地としての、あるいはさまざまな文献資料などを含む〈フィールド〉と向き合いつづけ、そこで出会うことができる「声」に耳を傾けつづけることが必要だろう。

 


3.日々の生活、あるいは「暮らし」を知ること

 

 これまで述べてきた「想像力」を駆動させることのほかに、〈フィールド〉と向き合いつづけることの意義は、(一部重なるところもあるのだが)「暮らし」を知ることにあると考えている。
 先に述べたとおり、筆者は阿仁マタギについての調査研究をおこなっている。阿仁マタギをはじめ、「マタギ」と呼ばれる狩猟者たちについては、これまで多くの民俗学者が研究してきた。そのなかでも、とりわけ初期に位置付けられる一連の研究において、「マタギ」はある種の特異な存在として記述され、それらの研究によって「伝統的」や「クマ狩り(狩猟)」などというマタギのイメージが構築されてきた。そして、そうしたイメージは今日一般に用いられている「マタギ」という語の意味の中核をなすものでもある。しかしながら、表象されるイメージとかれらの自己イメージのあいだには齟齬がみられる(松浦 2025)。
 その一因としては、かれらの生活は狩猟だけで成り立っているわけではないということが挙げられるだろう。かれらは一年を通して会社員として働きながら、季節に応じて山菜やキノコをとったり、クマやカモを狩猟したり、あるいは先に述べたような駆除に従事したりする。また、山菜やキノコを塩蔵し1年にわたって山の恵みを食べられるように備えたり、冬場を乗り切るために長い時間をかけて薪を割ったりもする。夏には草刈りを、冬には雪下ろしを、早朝からおこなっていることもある。要するに、1年というサイクルが強く知覚されているのである。
 このことは、マタギを「伝統的」であるとか、「クマ狩り」に従事する人びとといった視点とは異なる見方──生活──を浮かび上がらせる。ある狩猟者は、このことについて「マタギは「暮らし」の一部である」と語っていた。先述した有害駆除もまた、狩猟や山菜・キノコの採取、あるいは生活をつづけるための活動と同様に、「暮らし」に組み込まれたものとして捉えなければ、見落としてしまうものがある。目につきやすく、注目を集めやすい事柄だけを取り上げるのではなく、かれらの「暮らし」に目を向け、リアリティをもったかたちで生活を描くことが重要である。そしてそれは〈フィールド〉と向き合いつづけることによってはじめて可能になるものだろう。

 


4.〈フィールド〉と向き合いつづけること

 わたしがはじめて調査地の集落を訪れたのは、2021年の3月、学部4回生になる直前であった。全長500メートルほどの長く薄暗いトンネルを抜けると、視界が一気に広がり、まだ雪が残る集落があらわれたときのことを、いまでもはっきりと覚えている。
 調査を開始するにあたって、わたしは自分自身の人生に深く関わるような問題意識をもっていたわけではなく、ほとんど学術的な興味関心だけで研究をはじめた。当初の問題関心は「マタギ勘定」と呼ばれるクマ肉の分配方法を調査研究することにあった。もちろん、さまざまなことをフィールドノートに書き込んではいたが、基本的には「マタギ勘定」についての話を聞き、データを収集することに注力していた。しかしながら、大学院進学後からはフィールドで得られたデータをきちんと記述すること、そしてそこから問題を立ち上げることを学んだことによって、問題関心は多岐にわたるようになった。ここではキーワードを列挙するにとどめるが、いまでは、たとえばクマ猟、有害駆除、食物分配、山菜・キノコの採取とその利用、カモ猟、移住者などに関心を抱いている。
 こうした多種多様な関心は、〈フィールド〉での/との対話を通じて生み出されたものである。調査地の集落に何度も足を運び、かれらと生活を共にし、どのような「暮らし」が営まれているのかを学んだことで、「マタギ勘定」の研究だけをしていても、かれらの生には迫れないと感じるようになったのである。
 また、調査地でフィールドワークを実施するだけでなく、先行研究や行政文書などといった文献とのあいだを行き来することによって、そのあいだの齟齬に気づくこともあった。たとえば、先に述べたような有害駆除の事例がある。参与観察によって明らかになった有害駆除のありようをふまえ、県をはじめとする行政による政策をみてみると、そこには乖離があることが明らかになる。こうしたプロセスを経て、再度自分の〈フィールド〉に立ち返ってみる。すなわち、政策について知ったうえで参与観察をおこなったり話を聞いたりすると、最初の印象とは異なる側面に気づくことができるということを経験してきた。
 〈フィールド〉で得られる経験は、文献を読む際の想像力を駆動することもある。狩猟を終えてから30キログラムほどの肉塊を背負って山を2〜3時間にわたって歩き続けることのつらさ、解体に参与することでわかる死んで間もないクマの肉のあたたかさ、手についた脂と血の感触などといった経験をもって、かつて書かれた調査記録などを読むと、そこにより一層のリアリティを見出すことができるようにもなった。
 最近は、調査地である秋田県だけではなく、長野県、新潟県、福島県、山形県など、かつて阿仁マタギが出稼ぎ猟をしていたとされる場所にも足を運んでみている。それぞれの地域の資料館でみたり読んだりしたこと、その土地の人に聞いた話、文献で読んだことなどが、ぐるぐると巡りめぐって自分の研究に返ってくる瞬間が、いつかこの先訪れるだろう。各地の人びとの「暮らし」を知り、いくつもの想像力を持ち合わせておくことで、あらたな研究のアイデアや〈面白さ〉が生まれる瞬間があるかもしれない。そのときを楽しみに、いまはいろいろなものに触れてみたいと思っている。

 

 

 

参考文献
  • 熊谷達也,2006,『相克の森』集英社.

  • 松浦海翔,2025,「〈あわい〉の狩猟者──「伝統的なマタギ」からの解放と、現代における自己イメージ」『現代民俗学研究』17:1-16.

© 2025 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

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