『マツタケ』マニフェスト、ふたたび
赤嶺 淳
一橋大学大学院 社会学研究科教授
以下は、Balat's Officeと題した、わたしの個人ウェブページのトップに掲載していた文章です。balat(バラット)とはフィリピン諸語でナマコ類を指す単語です。
「ナマコ研究室」なるウェブページを開設したのは、人生初となる単著『ナマコを歩く』が出版された2010年5月のことでした。研究成果はもちろんのこと、研究活動を支えてくれる研究助成を公開し、調査研究の責任を明示しようと考えてのことでした。現代風にいえば、調査倫理の一環として研究に関する情報を開示する、ということになります。
2021年1月には、10年たったということもあり、またCovid-19で研究スタイルの変更を余儀なくされたこともあり、ウェブページの衣替えを実行いたしました。その後、科学技術振興機構のresearchmapや一橋大学のリポジトリなどの諸媒体が整備されたことから、「ナマコ研究室」は2025年3月末に閉じました。
しかし、わずか4年強の寿命となった「『マツタケ』マニフェスト」だけは、どこかに残しておきたいと考えていたところ、さいわいにも本誌の『マツタケ』特集号に拾ってもらえました。ふたたび、日の目を見る機会を与えてくれたことに感謝しています(タイトルの「歩いては読み、読んでは歩く」は、再録に際してあらたに附しました)。

カナダ産アメリカマツタケと中国産マツタケ(2016年10月、名古屋市内のスーパーで筆者撮影)。
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歩いては読み、読んでは歩く
10年ぶりにホームページを一新いたしました。厄払いというつもりはありませんが、コロナ禍で変容をせまられた研究活動をうけ、心機一転、衣替えというわけです。
海域世界研究を標榜し、これまで「水産資源の保全と利用」について研究してきました。基本はフィールドワーク。犬も歩けば……のごとく、調査にでれば、なにかしらの発見があり、研究の広がりを実感できるものです。しかし、研究の深化という点では、物足りなさを感じていたことも事実です。
そんなモヤモヤ感を自覚し、路線修正へと舵を切るきっかけとなったのは、アナ・チンさんの『マツタケ』との出会いでした(いまふりかえっても、チンさんの教養あふれる語りと、計算しつくされた幾重もの仕掛けを、訳出しきれたかは疑問です)。「おなじモノをあつかっているのに、この『思考の深さとスケールの大きさの差』は、何なのか」。翻訳中、幾度となく自問したことです。
決定的な違いは、近代を近代たらしめているもの──資本主義──への洞察の有無にあります。わたしはモノを追っかけることに精一杯だった(し、それを楽しんでいた)わけですが、チンさんが追求していたのは「モノを動かすシステム」なのであって、モノへの着眼はその手段だった、ということです。
世界の人類学研究を牽引するチンさんですが、それでもマツタケ研究に着手するにあたっては、一夏すべてを文献調査に充てた、と断言します。そんなチンさんの姿勢に学ぶつもりで、コロナ禍の2020年、わたしも「読む」作業に傾注し、研究を構想しなおすことにしました。
たとえば捕鯨。現在でこそ鯨肉消費をめぐる問題──ときとして伝統か否か──として議論されていますが、世界史的には鯨油という産業革命をささえた商品を生産する産業でした。その後、石油化学工業が発展するとともに灯油や潤滑油としての需要は蒸発したものの、20世紀にはいるとマーガリンや石鹸の原料としての需要によって息を吹きかえします。液体である鯨油をマーガリンなり石鹸なりに固形(硬化油)化する過程でグリセリンが生成されますが、そのグリセリンがダイナマイトの主原料たるニトログリセリンを派生するというように、鯨油は軍事的戦略物資でもあったのです。
鯨油はヤシ油やパーム油、大豆油などと競合関係にありました。そんな鯨油の強みは、(南極の夏がおわる)北半球の春に大量供給されることにもありました。興味深いのは、戦前期、日本は鯨油をヨーロッパに輸出する一方で、「生命線」たる満洲から大豆粕を輸入していたことです。この事実は、なにを意味しているのでしょうか?
まだ展望は開けていませんが、捕鯨問題群の研究を深めることによって、富国強兵・殖産興業のスローガンのもと、近代化を追求してきた日本国家の成りたちを解明することができる、と踏んでいます。これまでのナマコ研究とクジラ研究を、大地(プランテーション)にも目配りした「地球大の資本主義」の視点から捉えなおすこと、それが今後の課題です。
2021年1月

ポートランド在住の日系米国人の憩いの場だったフッド山のマツタケ(2017年11月、筆者撮影)。