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〈越境〉の可能性を探求する
──フィールドを超えて訪れた「カダヤワン祭り」の事例から

鈴木 佳苗
一橋大学大学院社会学研究科 博士後期課程

​はじめに


 本稿は、「先端課題研究」第2回、第3回の報告でキーワードのひとつとなった「越境」に主眼をおき、〈面白い〉研究の構成要素として「越境」がいかにして立ちあらわれるかを探求するものである。具体的には〈越境〉を、①調査地を越境する、②調査地に立ちもどる、③学術領域を越境する、という3つの局面に分類し、これらがいかに〈面白い〉研究とかかわるかを考察する。

 


1.調査地を越境する

 筆者はキリスト教徒が9割を占めるフィリピンにおいて、マイノリティであるムスリム社会について調査・研究をおこなっている。主たるフィールドはフィリピンの首都マニラであり1)、マニラ首都圏に居住するムスリムに聞き取り調査をおこなってきた。
先日、東京都港区でミンダナオ島2)発祥のカダヤワン祭りが開催されるということで、筆者がこれまで対象としてきたフィールドを超え、足を運んだ。カダヤワン祭りとは、ルマド族3)とモロ民族4)を中心とする人々が、彼らの民族衣装を身にまとって民族舞踊をおどる、毎年ダバオで開催される祭りである。文化継承における観光業の役割について研究したRaymart FelicildaとAivie E. Dacay Reyesによれば、カダヤワン祭りは生命への感謝や先住民族文化を祝す祭典として、フィリピンにおける祭りのなかでも注目されている(Felicilda and Reyes 2025)。
 東京で開催されたカダヤワン祭りでは、フィリピン人もしくはフィリピンにルーツをもつ日本人参加者が、マラナオ族5)やタウスグ族6)といったムスリム・グループの民族衣装で登場し、それぞれの伝統舞踊を披露した(図1)。さらに、ダンスコンテストに出場した者は、それぞれの民族文化の魅力についてスピーチをおこなった。ステージに立たない参加者たちに目を向けてみると、ソンコック7)を着用する男性や、さまざまな民族衣装で着飾った女性で賑わっており、会場にはそれぞれのムスリム・グループの特徴や装飾について説明されたパネルが設置されていた(図2)。

図1 マラナオ族の伝統舞踊を披露する女性

(2025. 7. 19. 筆者撮影)

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図2 イラヌン族を紹介するパネル

(2025. 7. 19. 筆者撮影)

 祭りの主催者に話を聞いて驚いたのは、当日の参加者のほとんどがキリスト教徒であり、フィリピン人ムスリムは審査員をつとめた1名のみであったという事実である。ムスリム・グループそれぞれの舞を披露し、民族文化の魅力を述べた彼女たちもまた、ダバオやマニラ首都圏出身のキリスト教徒であるという。主催者によれば、本イベントの目的は、フィリピンの多様で豊かな文化を祝福するとともに、ムスリム・グループのもつ文化へ敬意と感謝を示すことにあるという。
 これまでのフィリピン研究における先行研究で述べられてきたように、フィリピンでは政府レベルから市民レベルまで、キリスト教徒社会とムスリム社会のあいだでは長らく対立が続いてきた。フィリピン南部では1970年代にイスラーム分離独立運動が展開されてからというもの、紛争が断続的に繰り返された。フィリピン・ムスリム研究者である川島緑は、2005年にフィリピン人間開発ネットワークがおこなった全国規模の意識調査で「ムスリムはおそらくテロリスト、または過激派である」と回答した人が47%にのぼったことなどを指摘したうえで、フィリピン人ムスリムの多くが就職や住宅の賃貸など、日常のさまざまな場面で差別されていると感じていると述べている(川島 2012)。
 近年では融和に向かっているという見方がある一方で、筆者がこれまでマニラ首都圏で調査してきたキリスト教徒のコミュニティでは「ムスリムは怖い、テロとかかわりがあるため良いイメージがない」といった声は未だにある。ムスリム・コミュニティにおけるムスリムへの聞き取りにおいても「わたしたち(ムスリム)は恐れられている、差別を感じることもある」との語りがしばしばある。そのようななかで、今回筆者が調査地を超えて参加したカダヤワン祭りは、ほぼ参加者全員がキリスト教徒にもかかわらず、ムスリム文化を共有し、たのしみ、讃えていたという点で、従来の理解を覆す経験となった。

 


2.調査地に立ちもどる

 筆者が調査地を越境したことで得られたものは、佐藤圭一による報告「世界Large-N症候群──『面白い研究』と調査対象の『手触り』」(2025)において言及された「手触り」に近しいと考える。佐藤は報告において、「手触り」の喪失こそが、量的研究から〈面白さ〉につながる洞察やひらめきが生まれない理由であること、また、研究者みずから調査をおこない、データ収集のプロセスに直接関わる重要性を指摘した。つまり、「手触り」は論文からこぼれ落ちるかもしれないが、収集したデータの背景にあるコンテクストを知ることが、〈面白い〉研究の鍵になるのではないかという主張である。
 筆者が主たる調査地から離れた土地で見聞きした経験は、直接的にデータとして論文に記述することはないだろう。しかしながら、そこで得た「手触り」は、筆者がこれまで検討していた論文の問いや方向性、すなわち規格自体を問いなおすきっかけとなった。「ムスリムは怖い」といった声も根強くある一方で、カダヤワン祭りはムスリムの民族文化を色濃く反映しつつも、キリスト教徒によって企画され運営されたイベントであった。そして、キリスト教徒が彼らの文化を理解するために、会場のパネルや踊りの衣装を準備したという紛れもない事実は、自身の調査地からは見えてこなかったキリスト教徒とムスリムの関係性を映し出すものである。ここでの「手触り」によって、今後、自身のフィールドにおける調査においても聞き取りの内容や方法を再検討することとなった。調査地を越境することは、研究を遂行するうえでは遠回りのように感じるが、〈面白い〉研究につながりうる気づきを与えてくれる。

 


3.学術領域を越境する

 

 本研究会では、学術分野からの越境、または学術領域からの越境についても、複数の報告者から〈面白い〉研究の構成要素として投げかけられた。
 太田美幸の報告「人間形成と社会形成のノンスケーラブルな関係──教育社会学をはみでる〈教育と社会〉研究」(2025)では、教育社会学という分野が直面する構造的な課題に対して問題提起がなされた。特に強調されたのは、教育社会学が「職業社会において高い成果を上げるために必要な能力」と「よりよく生きるための力」をしばしば同一視し、学力形成をあたかも良い人生の前提として位置づけているという指摘である。教育社会学という学問分野は、本来であれば、そのような学力中心主義に対して批判的なまなざしをもち、学力をはじめとする評価軸がもつ意味や、その妥当性に問いを投げかける役割を担うべきはずである。ところが、実際に学力の格差や教育機会の不平等といった問題を量的に可視化し、それを是正することを目的とした研究が主流となっている。太田はそうした研究のあり方に疑問を抱き、自身の問題意識に通ずる学術分野を越境しながら、調査・研究をおこなっている。学術分野をはみでて自身の研究テーマと向き合うことで、従来の教育社会学を乗り越える挑戦をしている。
 小泉佑介の報告「地図の〈面白さ〉──地図を読む、地図を描く、地図とともに歩く」(2025)においては、学術領域、すなわちアカデミアをも越え、多様なバックグラウンドをもつ人びととの共同作業によって生み出される〈面白い〉研究の手がかりが紹介された。地理学者であり、地図を研究の柱としている小泉は、デザイナーとの協業をつうじて互いのアイデアを交流させ、自身のみでは発想されなかった新たな地図のデザインが誕生した。領域を越えて協力関係を築くのは、共通言語を共有していないなど、しばしばプロジェクト遂行には困難をともなうこともあるが、学術領域からの越境が、最終的には学術領域へ還元できる成果を生むことを示している。
 さらに、牧田義也の報告「Nonscalabilityと歴史実践──アート・地域・歴史学の交差」(2025)においても、論文では記述できないものや、こぼれ落ちるものを表現する術として学術領域からの越境が提示された。牧田は一つの方法として、アートがもつ可能性を強調する。歴史学者である牧田は、論文からは捨象されてしまう歴史実践を指摘したうえで、そのこぼれ落ちてしまうもののなかにある〈面白さ〉に注目する。そのため牧田は、自身の研究とは少し離れた分野での活動として、歴史実践としての芸術実践をおこなうプロジェクトに参加している。たとえばフィリピンでは、忘却してはならないマニラ戦や性暴力の歴史を、現存する事件発生現場の部屋で作品制作をおこない、アートとして成果を残した。学術研究のものさしだけでなく、自身が持ちあわせていないさまざまな基準とも向き合いながら歴史を捉え、研究に立ちかえる営みが、〈面白い〉研究の出発点になるのではないかと述べている。

 


おわりに

 本稿では、「先端課題研究」第2回、第3回の報告でたびたび言及された「越境」に着目し、〈面白い〉研究のエッセンスとして、越境がいかに立ちあらわれるのか、筆者が調査地を越境した経験や、学術分野あるいは学術領域における報告者による越境の経験から探ってきた。これらに共通するのは、従来の知見では理解しがたい事象との遭遇や、異分野の人びととの協業でしばしば困難をともなうなど、越境は〈遠回りな〉作業であった。しかしながら、この〈遠回りな〉過程を辿ってゆくことで新たな発見や洞察を獲得することができ、最終的には学術的研究へ還元できる成果を生む可能性があると言えるだろう。
 筆者は現在、民間企業に勤めながら大学院生として研究をおこなっているが、越境は自身のライフワークとしても捉えられるのではないかと考えている。研究会では、異なる領域の人びとが協力する際の課題として共通言語の不在が挙げられたが、翻訳者のような立場を担うことができないだろうか。筆者自身の研究への還元はもちろんであるが、越境がもたらす学術的研究の社会的意義についても、いま一度模索したい。

1) フィリピンにおけるムスリム社会の中心はミンダナオ島であるが、1972年のマルコス大統領が布告した戒厳令以降、戦火を逃れるため国内の他の地域へ移り住むムスリムが激増した。マニラ首都圏に形成された複数のムスリム・コミュニティは、ミンダナオ島やスル諸島を離れたムスリムの受け皿となった(宮本 1994)。このような歴史的経緯をふまえ、筆者はマニラ首都圏のムスリム・コミュニティを調査地としている。
2) ミンダナオ島は人口の2割がムスリムであり、その他の少数民族も含めて多様な民族が集住する地域である。
3) ルマド族はミンダナオ島の先住民族で、イスラーム教とキリスト教には属さない民族である。
4) スペイン植民地支配期、スペイン人はスペイン人に服従せず、スペイン・カトリック文化の影響を受け入れなかった南部のイスラーム化した住民を「モロ(Moro)」と呼んだ。これは差別的な呼称であったが、のちのイスラーム分離独立運動において、フィリピン人に対抗する民族的アイデンティティを示す言葉として、自ら「モロ民族」という言葉を採用した(川島 2012)。
5) マラナオ族はミンダナオ島中西部の南ラナオ州にあるラナオ湖周辺をルーツとするイスラーム教の言語民族集団である(宮本 1994)。
6) タウスグ族は主にミンダナオ島西端のサンボアンガからスル諸島周辺にルーツをもつイスラーム教の言語民族集団である(宮本 1994)。
7) ソンコックとは、東南アジア地域においてムスリム男性が着用する帽子のこと。

参考文献
  • 川島緑,2012,『マイノリティと国民国家──フィリピンのムスリム』山川出版社.

  • 佐藤圭一,2025,「市民の価値観の生態学的アプローチ──実験的アプローチの「狭さ」を越えて」松尾隆佑・源島穣・大和田悠太・井上睦編『インフォーマルな政治の探究──政治学はどのような政治を語りうるか』吉田書店,289-315.

  • 鈴木佳苗,2025,「境界をつなぐ⾷──現代マニラ首都圏に暮らす回帰ムスリムの語りから」修士論文,一橋大学大学院社会学研究科.

  • 宮本勝,1994,「ルソン島に渡ったムスリム──フィリピン」板垣雄三監,片倉もとこ編

  • 『講座イスラーム世界1──イスラーム教徒の社会と生活』悠思社,117-152.

  • Felicilda, Raymart. and Aivie E, Dacay Reyes, 2025, “Kadayawan Beyond the Streets: Understanding Tourist Motivations and Experiences in Festival Tourism in Davao City,” International Journal of Research and Innovation in Applied Science, X(VI): 607-612.

© 2025 くにたち歩く学問の会        発行:東京都国立市中2-1 一橋大学大学院社会学研究科赤嶺研究室

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